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【読物】収穫で食べる

食べることに関する詩歌

こちらを参照

読物

出典:日本福音書房『主を食べる』PP49~54

第四章 二種類の食べることー種をまくことで食べることと、収穫で食べること

主に感謝します。今、わたしたちはみな主を食べることを学んでいます。しかし、申命記の啓示によれば、主を食べ、主を飲み、主を享受することに関して、多くの特別な点があります。一面、主は命のパンです。ですから、わたしたちは単純に彼を食べる必要があります。もう一面、申命記第十二章、第十四章、第十五章によれば、わたしたちが食べる主イエスは、わたしたちの労苦から出てきます。彼は、畑に種をまき、牛や羊の群れを育てることから生み出されます。したがって、申命記によれば、主の豊富を享受することは、わたしたちが彼の上で労苦することの結果です。

わたしは、この食べることの予表の詳細をもう少し説明することができます。例えば、あなたが聖書を開いて、主の御名を呼び求め、彼の言葉を祈り読みするなら、あなたは今でさえ享受することができます。しかし、これは初期の享受にすぎません。それには自分の骨折りと労苦が全くないので、豊かな収穫の享受ではありません。あなたは,ただ自分を開くことによって、霊を使って主の御名を呼び求めることによって、また彼の言葉を祈り読みすることによって、主を享受しただけです。これは種まきの享受であって、収穫の享受ではありません。

豊かな収穫のために労苦する必要がある

わたし自身の観察によれば、兄弟姉妹の享受は、大部分が種まきの享受です。あなたの中にまいた大部分の種には、結果がありません。なぜ結果がないのでしょうか?これは、あなたが主を食べ、飲み、享受した後、内側で彼を成長させ、円熟させ、実を結ばせていないからです。

あなたが「おお、主イエスよ」と呼び求めるとします。わたしは、この呼び求めることは、あなたに確かな影響を及ぼすだろうと信じます。主を呼び求めても、何の結果もないということはあり得ません。あなたが彼を呼び求める時はいつでも、彼はあなたの所に来られます。一面、彼は来られてあなたを慰めます。もう一面、彼は来られてあなたを悩ませます。夫であるあなたが「おお、主よ!おお、主よ!」と呼ぶなら、彼は内側であなたに触れて、「どうですか?あなたは妻を怒らせましたね」と言われるかもしれません。そこであなたは「おお、主よ!尊い血でわたしを清めてください!」と言います。しかし、彼はさらに言われます、「確かに、血はあなたを清めることができます。しかし、血はあなたの代わりに罪を告白することができません。すぐに行きなさい。そして、妻に告白しなさい!」。あなたはどうすべきですか?ある夫は心を硬くして、服従することを拒否するかもしれません。彼らが転機することを拒否するので、主は彼らについては終わりです。あなたがそのような人であるなら,もう一度「おお、主よ」と呼んでみても、前のような効力はないでしょう。主イエスは、あなたの物語を知っておられます。ですから、あなたがもう一度彼を呼び求めても、彼は動かれないでしょう。わたしたちはみな、このような経験を持っています。以前、あなたが「おお、主よ」と呼び求めた時は、彼はやって来られました。今、彼は来られません。呼び求めれば呼び求めるほど、うまくいきません。「おお 」と言えば言うほど、あなたはますますしぼんでしまいます。そこで、あなたは主の御名を呼び求める実行を疑い始めて、もうこれ以上呼び求めたくないというほどになるかもしれません。これはあわれではありませんか? あなたは地に種をまくだけで、種を成長させて収穫しません。結局、種の享受もなくなってしまいます。

イザヤ書第五五章十節は、「種まく者には種を与え、食べる者にはパンを与える」と言います。わたしは地に種をまきます。それは三十粒の種を生じます。そのうちの十五粒を使ってしまっても、その翌年まだ十五粒の種があります。しかし、あなたの状況はどうですか?あなたがまいた種はなくなってしまいました。それが成長しなかったからです。ですから、もう種はありません。なぜあなたには種がないのですか?あなたが種を成長させなかったからです。

あなたが「おお、主よ」と呼ぶ時に、主はあなたが自分の妻を怒らせたという感覚を与えます。その時、すぐに主の御前で自分の罪を告白し、自分の失敗を認めて、妻の所に行って赦しを求めるなら、あなたの中にある種はとても速く成長するでしょう。それから、あなたが「おお、主よ」と呼ぶことに戻る時、その味わいは全く違います。しかし、主はあなたを悩ませ続けます。あなたがもう一度「おお、主よ」と呼ぶと、彼はあなたの髪がきちんと切られていない、あなたはこの問題を顧みなければならないと指摘します。あなたがすぐに服従して、きちんと散髪するなら、あなたは内側で大きな喜びを感じるでしょう。親愛なる兄弟姉妹、もしこのようであるなら、その結果は途方もないものです。あなたがたの内側の存在は、毎日豊かな刈り取りがある畑、大きな農場になります。これは、イザヤによって語られた「種まく者には種を与え、食べる者にはパンを与える」という言葉を本当に成就します。今日、わたしはあなたがたに確かめたいのです。あなたは種をまく者として、本当に種を持っていますか? あなたは食べる者として、本当にパンを持っていますか?ことによると、あなたは茶碗の半分しかお米がないかもしれません。それでは、あなた自身でさえ十分ではありません。もし自分自身が十分に食べることができないなら、どうして人を顧みることができるでしょうか?この原因は何でしょうか?それは、あなたが種をまいたにもかかわらず、種を成長させるために労苦しないからです。

わたしたちは、農夫が畑で働く時は石を取り、雑草を取り、土に水をやって、肥料を与え時には農薬を使わなければならないのを知っています。あなたは何をしましたか?あなたは、とてもよく主を食べて、彼の言葉を祈り読みしました。しかし、あなたは石を取らない、雑草を取らない、土に水をやらない、肥料をやらない、農薬も使いません。結局、種をまかないほうが良かったのです。もしあなたがまかなければ、あなたの種は手つかずのままです。しかし、いったん種をまいてしまえば、あなたはあなたが持っているたった一粒の種もなくなります。ある人たちは、御言を祈り読みする前には、確かに少しは主の分の蓄えを持っていました。しかし、彼らは祈り読みすることを通して主を得ましたが、その後で労苦することで従順でなかったので、主の臨在をなくしてしまいます。主は、彼らから離れて行かれました。

ディスカッション

  1. 主に照らされた経験はありますか?
  2. 主の照らしに服従した、もしくは服従しなかったことはありますか?

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